さて本日は、最近お便りが多いテーマ
「鳴門の古墳」
について調査していきたいと思います。

鳴門市と言えば、たしかに近年古墳ワードが多い場所ですよね。
最近では邪馬台国との関連性があるとの説も巷では回っています。


果たしてどうなのか。

まずネットで「鳴門 古墳」でキーワード検索した所、結構な数の古墳が存在しているのだとか。

大麻町にいくつかの古墳もあり、ここが近年では邪馬台国ではないか。
卑弥呼がいたんじゃないか
。と噂される場所だったりします。

そして大麻近辺の大津町では最近発見された大代古墳も有名で、しっかりとした前方円古墳が見られます。

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いろいろな説がある中でも気になるのが
「ドイツ館及び坂東俘虜収容所周辺は、実はたくさんの物が眠っている」
との説。
さすがにこちらは専門的な意見なしには答えが見つからない。
そこで私たちは鳴門市生涯学習人権課に連絡してみました。

するとこんな回答が。

「鳴門市ドイツ館や板東俘虜収容所跡の周辺には、古墳があったといわれていますが、後年の開発により、その姿を消しています。」

実は大昔に、建物を建てたり、道を作るなどの過程でほとんどの物が姿を消しているそう。
残念だ。。。。


ならば!邪馬台国の説はどうなんだ!!
こちらも聞いてみました。

「鳴門市は大麻町だけでなく、市内に古墳が多く散在しております。
しかしながら、それら古墳が「邪馬台国」に結びつく証拠(遺構・遺物)が出ておりません。
また、「邪馬台国徳島県説」につきましては、学術的根拠がございません。
ご存じの通り、学術調査により現在、大規模集落と古墳の立地、出土遺物から畿内説ないし九州説が有力視されております。
古墳の数の多さを根拠として、「邪馬台国徳島県説」に直結するものではございません。」


残念でした。
現在の段階では資料の数的にも直結するものではないのだとか。

ただし! こんな回答もいただいています。

「そのほか、古事記から「邪馬台国徳島県説」も一部で唱えられていますが、後年に書かれた史料を一次史料とするには、比較史料が少ないと認識しております。
古墳時代のできごとは、古墳時代に製作された資料に依拠して、検討するべきかと存じます。
後年の史料は、制作者の主観や意図が含まれ、誇張・飛躍が含まれております。
併せて、発掘調査等の学術調査は、文化財保護法に基づき、開発や
指定関連の調査等に伴い調査します。」

これは、本当にもしかしたら、もしかしたらなのかも!って事ですね。
他にも鳴門市だけに限らず、県内にはまだ様々な古墳が存在しており、法律上まだ発掘調査を認められていない場所もあるのだとか。 要するに未発掘の場所が他にもたくさんあるのだと!
まだ希望は捨てちゃダメですね!
しかし現段階では 邪馬台国徳島説はあり得ないみたいです。

ちなみに、追加で教えていただいた内容によると
古墳の数を最も有する都道府県は兵庫県みたい。
前回のストリートピアノに続いて1位でした。

いかがでしたか?
みなさんも一緒に徳島の歴史や邪馬台国説について、調査してみませんか?
今回協力していただいた鳴門市生涯学習人権課の方々、ありがとうございました!